【ITパスポートの実務】手書き台帳を表計算へ──「覚えることが増える」をどう小さくするか
小さな店の店長から、在庫管理のIT化について相談が届く。
「うちの店では、いまも在庫を手書きの台帳で管理しています。数え直しや書き写しに時間がかかり、書き間違いも起きています。『表計算ソフトで管理するとよい』と聞いたのですが、何がどう良くなるのか、どう始めればよいのか分かりません。表計算に切り替えるIT化について、提案の本文を作ってもらえますか」
ITパスポートの知識がここで力になるのは、「良くなること」を並べずに済むときだ。利点は調べれば出てくる。それでも切り替えが進まないのは、利点を知らないからではない。この記事では、進まない理由のほうから整理する。
まず結論:止めているのは、利点の不足ではない
| 店長が身構えるところ | 提案で答えること |
|---|---|
| 覚えることが増える | 覚えるのは最初は2つだけにする |
| いま回っているものが止まる | しばらく紙と両方でよい、と書く |
| 途中で分からなくなったら | 戻れる形にしておく |
提案書に「自動で計算できます」「並べ替えができます」と並べても、そこは止めている理由ではない。
止めているのは「いま回っているものを、自分が壊すかもしれない」という心配である。台帳はいま実際に店を回している道具だからである。
だから提案の軸は「良くなること」ではなく「壊れないこと」に置く。
そして利点は、少なくてよい。3つ並べるより、いちばん効く1つを具体的に書いたほうが伝わる。
いまの台帳を、そのまま列にする
IT化の提案でよくある失敗が、この機会に項目を整理しましょうと持ちかけることである。
整理そのものは正しい。ただし「新しい道具を覚える」と「新しい決め方を作る」が同時に来る。片方でも重いところに、二つ重なる。
だから最初はいまの台帳の項目を、そのまま横一列に置く。商品名・数量・仕入日と書いてあるなら、そのまま3つの列にする。
こうすると覚えるのは道具だけになる。見た目が台帳と同じなので、どこに何を書くかを考えなくてよい。
項目の見直しは使えるようになってからで間に合う。むしろ使ってみると、要らない項目が自分で見えてくる。
いちばん効く1つを選ぶ
相談では「数え直し」「書き写し」「書き間違い」の3つが挙がっている。3つとも表計算で軽くなるが、効き方が違う。
- 書き写し——合計を出す作業が無くなる。手を動かす回数がそのまま減る
- 書き間違い——写す作業が無くなるので、写し間違いも一緒に無くなる
- 数え直し——棚を数える作業は残る。減るのは、数えたあとの計算だけ
ここは正直に書く。「数え直しも楽になります」と書くと、期待と違うことになる。棚を数えるのは紙でも表計算でも同じである。
そのうえで書き写しと書き間違いは、同じ1つの変化から一緒に消える——ここを具体的に書く。合計を写さなくなるから、写し間違いも起きない。
この「2つが一度に消える」が、この店にとっていちばん効く1つである。
新しく増える困りごとも、先に書く
紙から表計算に移ると、紙には無かった心配が新しく出てくる。
- 保存を忘れる——紙は書いた時点で残るが、画面の内容は保存しないと消える
- 1つのファイルを2人で開く——あとから保存したほうが残ることがある
- PCが壊れる——台帳ごと無くなる。紙は1冊が燃えるが、データは静かに開けなくなる
これを提案に書くと不利になると思うかもしれないが、逆である。
書かずに始めると、最初に困ったときに「やっぱり紙のほうが」となる。先に書いてあれば、想定内の出来事になる。
そしてそれぞれに手当てを添える。保存はこまめに。ファイルは1つに決めて、触る人を決める。データは別の場所にもコピーを置く。
特に3つ目は紙より弱くなる部分である。1台のPCに載せるということは、その1台が台帳そのものになるということでもある。ここを黙って始めない。
提案文の例
在庫台帳を表計算にしてみませんか
ご相談ありがとうございます。いまの台帳を、そのままの形で表計算に移すご提案をします。項目を整理し直したり、新しい決まりを作ったりはしません。
いちばん変わるところ
合計を書き写す作業が、無くなります。
いまは数えた数を書いて、そこから合計を計算して、また書き写しておられると思います。表計算では数を入れると合計が出ます。書き写す手間が消え、写し間違いも一緒に消えます。
ご相談の「書き写し」と「書き間違い」は、この1つの変化でどちらも軽くなります。
正直に申し上げると
棚を数える作業は、そのまま残ります。軽くなるのは、数えたあとの計算からです。ここは変わりません。
始め方
いまの台帳を開いて、書いてある項目を、そのまま横一列に並べてください。商品名、数量、仕入日——台帳と同じ順番で構いません。
覚えていただくのは、最初は2つだけです。マスに文字を入れることと、合計を出すことです。並べ替えや検索は、使いたくなってからで間に合います。
しばらくは、紙と両方で構いません。表計算のほうが早いと感じられたら、そのとき紙をやめてください。
紙には無かった注意が、3つ増えます
- 保存を忘れると消えます。紙は書いた時点で残りますが、画面の内容は保存が要ります。
- 同じファイルを2人で開かないでください。あとから保存したほうが残ることがあります。触る方を決めておくと安心です。
- PCが壊れると、台帳ごと無くなります。ここは紙より弱くなる部分です。
3つ目については、データのコピーを、PC以外の場所にも置いてください。置き場所の決め方は、あらためてご相談させてください。
やめたくなったら
紙の台帳は捨てずに置いておいてください。合わないと感じられたら、そのまま紙に戻れます。戻れる形にしておくのが、始めやすさだと思っています。
「項目を整理し直したりはしません」を冒頭に置いた。いちばん身構えるところを、先に外す。
利点は1つに絞った。並べ替えも検索も本当に便利だが、いま困っていることではない。
「正直に申し上げると」で、効かない部分を書いた。提案が全部良い話だと、かえって信用されない。
新しい困りごとを3つ書き、3つ目は紙より弱いと明記した。隠して始めると、そこで止まる。
最後はやめ方である。戻れると分かっていると、始められる。
作り方の手順
- 止めている理由を先に考える。利点の不足ではない。
- 身構えるところを特定する。覚えること・止まること・戻れないこと。
- 「新しい決め方を作らない」を冒頭に置く。
- いまの項目をそのまま列にする。見た目を変えない。
- 困りごとのうち、いちばん効く1つを選ぶ。
- 効かない部分を正直に書く。棚を数える作業は残る。
- 覚えることを数で示す。「最初は2つだけ」。
- 新しく増える困りごとを先に書く。手当てを添える。
- 紙より弱くなる部分を明記する。黙って始めない。
- やめ方で締める。戻れると分かると始められる。
この場面で効いているITパスポートの知識
- 表計算の自動計算——写す作業が消えると、写し間違いも消える
- 並べ替え・検索——便利だが、いま困っていることとは限らない
- データの保存とバックアップ——紙より弱くなる部分
- 段階的な移行——並行運用と、戻れる形
知識そのものより、利点ではなく「壊れないこと」を軸に置けることが、この場面で効いている。
提案で外したくないポイント
- 止めているのは利点の不足ではない。壊す心配である。
- 新しい決め方を同時に作らない。道具だけを覚えてもらう。
- いまの項目をそのまま列に。見た目を台帳と同じにする。
- 利点は1つに絞る。並べると、どれも小さく見える。
- 効かない部分を正直に書く。数え直しは残る。
- 覚えることを数で示す。量が見えると身構えにくい。
- 並行運用を認める。紙をすぐ捨てさせない。
- 新しい困りごとを先に書く。想定内にする。
- PC1台に載せる意味を書く。紙より弱くなる部分。
- やめ方を書く。戻れる形が、始めやすさになる。