【FPの実務】年金は早く?遅く?──率より先に「戻せない」ことから伝える
受給開始が近いお客様から、こんな相談が届く。
「年金は65歳からと聞いていますが、早くもらったり遅らせたりできるとも聞きました。それぞれどんな違いがあるのか、判断のポイントを教えてください。」
FPの実務で、繰上げ・繰下げの整理はよく相談される。力になるのは、増減の率を伝えることよりも「あとから戻せないこと」と「一緒に動いてしまうもの」を先に示せたときだ。率は計算すれば分かるが、失うものは条文を読まないと出てこない。この記事では、条文の構造から整理する。どちらが有利かは断定しない。
まず結論:率は政令、失うものは法律に書いてある
| 繰上げ | 繰下げ | |
|---|---|---|
| できる年齢 | 60歳以上65歳未満(国年法附則9条の2第1項) | 66歳に達した日以後の申出(同法28条1項) |
| 率の根拠 | 減額率=千分の四×月数(国年令12条) | 増額率=千分の七×月数(120月が上限)(同令4条の5) |
| 条文に書かれた「代償」 | 厚生年金と同時請求/寡婦年金が消滅 | 65歳時点で他の年金の受給権があると申出できない |
率は政令に、失うものは法律に書かれている。相談で重いのは後者である。
増額率のかっこ書に「当該月数が百二十を超えるときは、百二十」とある。120月=10年なので、65歳+10年=75歳が上限になる。よく言われる「最長75歳」は、この数字から出ている。
率そのものは改正で動くので、記憶で答えず、その年の資料で確認する。ただし「1か月あたりの率×月数」という計算の形は変わらないので、お客様にはそちらを渡す。
繰上げ——3つのことが一緒に起きる
①厚生年金と同時にしか請求できない
前項の請求は、厚生年金保険法附則第七条の三第一項又は第十三条の四第一項の規定により支給繰上げの請求をすることができる者にあつては、当該請求と同時に行わなければならない。(国民年金法附則9条の2第2項)
「同時に行わなければならない」である。基礎年金だけを繰り上げて、厚生年金は65歳から、という選び方はできない。
お客様が「基礎年金だけ早めたい」とおっしゃったときに、この条文で答える。2つとも減る。
②寡婦年金が消える
寡婦年金の受給権は、受給権者が第三項の規定による老齢基礎年金の受給権を取得したときは、消滅する。(国民年金法附則9条の2第5項)
これは率の計算では出てこない損失である。
寡婦年金を受けている方、または受けられる見込みのある方が繰上げを選ぶと、その受給権が消える。戻せない。
相談では「他に受けている年金や、受けられる見込みの年金はありませんか」を必ず伺う。ここを聞かずに率だけで説明すると、取り返しがつかない。
6項は、付加年金も同じ減額率で減るとしている。付加保険料を納めてこられた方には、この点も伝える。
③減額は生涯続く
減額率は「繰上げを請求した日の属する月から六十五歳に達する日の属する月の前月までの月数」で計算される(国年令12条1項)。請求した時点で率が確定し、その後は変わらない。
条文には「あとで戻せる」という規定がない。ここが繰下げとの決定的な違いである。
お客様には「一度請求すると、その率が一生続きます」とはっきりお伝えする。迷っていらっしゃるなら、決めないという選択もある——繰上げは請求しなければ何も起きない。
繰下げ——できない場合と、みなされる場合
老齢基礎年金の受給権を有する者であつて六十六歳に達する前に当該老齢基礎年金を請求していなかつたものは、厚生労働大臣に当該老齢基礎年金の支給繰下げの申出をすることができる。ただし、その者が六十五歳に達したときに、他の年金たる給付(……老齢を支給事由とするものを除く。)の受給権者であつたとき、又は六十五歳に達した日から六十六歳に達した日までの間において他の年金たる給付の受給権者となつたときは、この限りでない。(国民年金法28条1項)
2つの条件がある。
1つめ、66歳に達する前に請求していないこと。65歳から66歳の間に請求してしまうと、繰下げはできない。「とりあえず65歳で受け取り始めて、あとで繰下げに変える」ということはできない。
2つめが、ただし書である。65歳時点で他の年金の受給権者だったとき、または65歳から66歳までの間に他の年金の受給権者となったときは繰下げできない。
かっこ書に「老齢を支給事由とするものを除く」とあるので、ここでいう他の年金とは障害年金や遺族年金を指す。
だから障害年金や遺族年金を受けていらっしゃる方は、そもそも繰下げの対象外になる。相談では先にこれを確認する。率の話はその後である。
六十六歳に達した日後に次の各号に掲げる者が前項の申出……をしたときは、当該各号に定める日において、前項の申出があつたものとみなす。
一 七十五歳に達する日前に他の年金たる給付の受給権者となつた者 他の年金たる給付を支給すべき事由が生じた日
二 七十五歳に達した日後にある者(前号に該当する者を除く。) 七十五歳に達した日(国民年金法28条2項)
2項は安全弁になっている。
1号は、繰下げを待っている間に障害年金や遺族年金の受給権が発生した場合である。その日に申出があったものとみなされるので、それまで待った分の増額は無駄にならない。ただしそこから先は増えない。
2号は、75歳を過ぎてから申出をした場合である。75歳に達した日に申出があったものとみなされるので、75歳を過ぎても損はしないが、それ以上は増えない。
お客様には「75歳を過ぎてから手続きをされても、75歳時点で申し出たものとして扱われます」と伝えておく。「うっかり過ぎたらゼロになる」という不安をここで解消できる。
3項により、繰下げた年金の支給は申出のあった日の属する月の翌月から始まる。
判断材料の並べ方
「どちらが得か」はその方にしか決められない。FPが渡すのは判断材料である。
金額の比較は、年金事務所やねんきんネットで実額を出していただくのが確実である。記憶の率で概算しない。
そのうえで、金額以外の材料を並べる。
- いま受けている年金・受けられる見込みの年金(繰上げなら寡婦年金、繰下げなら障害・遺族年金)
- 働き続けるご予定があるか
- 他に収入があるか。年金が増えると、税や社会保険料に影響することがある
- ご家族の状況。加給年金や振替加算など、他の加算との関係
- 健康状態や、いつからお金が必要かというご本人のお考え
繰下げには「決めないでおく」という選択がある。66歳を過ぎてから、そのときの状況で決められる。繰上げは請求した時点で確定する。この非対称は伝えておきたい。
そして「こうしたほうがいい」とは言わない。何歳まで生きるかは誰にも分からず、損得は結果でしか決まらない。FPは「決めるために必要な材料が揃っているか」を確かめるところまでを担う。
相談の進め方——この順番で確認する
- 他に受けている年金・受けられる見込みの年金を伺う。ここで繰下げの可否が決まる(国年法28条1項ただし書)。
- 寡婦年金の有無を確認する(同法附則9条の2第5項)。
- 厚生年金があるかを確認する。繰上げは同時請求になる(同条2項)。
- 付加保険料を納めてこられたかを確認する(同条6項)。
- ねんきんネットや年金事務所で実額を出す。率で概算しない。
- 働くご予定を伺う。
- 他の収入を伺う。税や社会保険料への影響。
- 加給年金・振替加算など他の加算との関係を確認する。
- 75歳を過ぎてもみなし規定があることをお伝えする(同法28条2項2号)。
- 繰上げは戻せないことを、決める前にもう一度お伝えする。
プロならこう説明する
率のお話をする前に、2つだけ確認させてください。ここで、そもそも選べるかどうかが決まります。
1つめ。いま受け取っていらっしゃる年金、あるいは受けられる見込みの年金はありませんか。障害年金や遺族年金です。
法律に、65歳の時点でこうした年金の受給権をお持ちの場合は、繰下げの申出ができないと書かれています。ですので、まずここを確認させてください。
2つめ。寡婦年金を受けていらっしゃる、または受けられる見込みはありませんか。
こちらは繰上げのほうに関わります。法律に、繰上げで老齢基礎年金の受給権を取得すると、寡婦年金の受給権は消滅すると書かれています。戻すことはできません。
そのうえで、率のお話です。
繰上げは60歳から選べて、1か月早めるごとに一定の率で減ります。減った率は一生続きます。あとから戻す規定は、法律にありません。
もう1点、繰上げでお伝えしておきたいことがあります。厚生年金をお持ちの場合、基礎年金だけを繰り上げることはできません。法律に「同時に行わなければならない」と書かれています。2つとも減ります。
繰下げは、66歳以降に申し出る形で、1か月遅らせるごとに一定の率で増えます。増える期間には上限があり、65歳から10年分、つまり75歳までです。
ここで、ご心配になりやすい点を先にお伝えします。
75歳を過ぎてから手続きをされても、損にはなりません。法律に、75歳に達した日に申し出たものとみなすと書かれています。うっかり過ぎてしまっても、そこまでの増額は受けられます。
同じように、繰下げを待っている間に障害年金や遺族年金を受けられるようになった場合も、その日に申し出たものとみなされます。それまで待った分は無駄になりません。
それと、65歳から66歳の間に請求してしまうと、繰下げは選べなくなります。「とりあえず受け取り始めて、あとで変える」ということはできませんので、ここはご注意ください。
金額については、私の概算ではなく、年金事務所かねんきんネットで実額をお出しいただくのが確実です。ご一緒に確認しましょう。
そのうえで、金額以外に考えていただきたいことをお伝えします。働くご予定があるか、他に収入があるか——年金が増えると税や社会保険料に影響することがあります——、加給年金など他の加算との関係。それから、いつからお金が必要かというお考えです。
最後に、どちらが得かは私には申し上げられません。何歳まで生きるかは誰にも分かりませんので、損得は結果でしか決まらないためです。
ただ1つ申し上げられるのは、繰下げには「まだ決めない」という選択があるということです。66歳を過ぎてから、そのときのご状況で決められます。繰上げは請求した時点で決まってしまいます。この違いは、お考えの材料にしていただけると思います。
よくある質問と、その答え方
「基礎年金だけ先に受け取ることはできますか」
できない。国民年金法附則9条の2第2項は、厚生年金保険法附則7条の3第1項等により繰上げ請求ができる者について「当該請求と同時に行わなければならない」としている。基礎年金と厚生年金は同時に繰り上げることになり、2つとも減る。
「繰上げは、あとから元に戻せますよね」
戻せない。減額率は国民年金法施行令12条1項により「繰上げを請求した日の属する月から六十五歳に達する日の属する月の前月までの月数」で確定し、法律に取消しの規定はない。その率が生涯続く。さらに同法附則9条の2第5項により寡婦年金の受給権は消滅する。迷っているうちは請求しない、という選択がある。
「遺族年金を受けているのですが、繰下げできますか」
できない。国民年金法28条1項ただし書は、65歳に達したときに他の年金たる給付の受給権者であったとき、または65歳から66歳までの間に受給権者となったときは繰下げの申出ができないとしている。かっこ書で「老齢を支給事由とするものを除く」とされているため、ここでいう他の年金は障害年金・遺族年金を指す。率の話より先に、これを確認する。
「75歳を過ぎてしまったら、増額はなくなりますか」
なくならない。国民年金法28条2項2号は、75歳に達した日後に申出をした者について「七十五歳に達した日」に申出があったものとみなすとしている。75歳時点までの増額は受けられる。同項1号も同じ考え方で、待っている間に障害年金や遺族年金の受給権が生じた場合はその事由が生じた日に申出があったものとみなされる。待った分は無駄にならない。
説明で外したくないポイント
- 繰上げは60歳から(国年法附則9条の2第1項)。減額率は政令(同令12条)。
- 厚生年金と同時請求(同附則9条の2第2項)。基礎だけは選べない。
- 寡婦年金の受給権が消滅する(同条5項)。率では見えない損失。
- 付加年金も同じ率で減る(同条6項)。
- 繰上げに取消しの規定はない。率は生涯続く。
- 繰下げは66歳に達する前に請求していないこと(同法28条1項)。
- 65歳時点で障害・遺族年金の受給権があると繰下げできない(同項ただし書)。
- 増額の上限は120月(同令4条の5)。65歳+10年で75歳。
- 75歳超・他の年金の受給権発生には、みなし規定がある(同法28条2項)。
- 金額は年金事務所・ねんきんネットで実額を出す。率で概算しない。
根拠条文のまとめ
| 条文 | 見出し | この記事で使った内容 |
|---|---|---|
| 国民年金法28条1項 | 支給の繰下げ | 66歳に達する前に請求していないこと。ただし書で他の年金の受給権があるとき |
| 国民年金法28条2項 | 同上 | 1号 他の年金の受給権が生じた日/2号 75歳に達した日に申出があったものとみなす |
| 国民年金法28条3項・4項 | 同上 | 申出のあった日の属する月の翌月から支給。加算額は政令 |
| 国民年金法附則9条の2第1項 | 老齢基礎年金の支給の繰上げ | 60歳以上65歳未満で請求できる |
| 国民年金法附則9条の2第2項 | 同上 | 厚生年金の繰上げ請求と同時に行わなければならない |
| 国民年金法附則9条の2第4項〜6項 | 同上 | 減額は政令/寡婦年金の受給権が消滅/付加年金にも準用 |
| 国民年金法施行令4条の5 | 支給の繰下げの際に加算する額 | 増額率は千分の七×月数。月数は120を上限とする |
| 国民年金法施行令12条 | 支給の繰上げの際に減ずる額 | 減額率は千分の四×月数。請求月から65歳到達月の前月まで |